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	<title>ストーンハウスロッジの記憶 3 へのコメント</title>
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	<description>日本×インド　コミュニティサイト「インド・トゥ」</description>
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		<title>山田　洋二 より</title>
		<link>http://indo.to/blog/archives/202#comment-466</link>
		<dc:creator>山田　洋二</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 06 Aug 2010 03:52:05 +0000</pubDate>
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		<description>私がストンハウスを利用した1980年代半ばは、ストンハウスの従業員に「ナマステおじさん」という人がいて「ナマステ」と部屋に入ってきて、ガンジャを売ってくれたりしたものだった。
ポリさんの横でボンしていても何も言われない長閑な時代でした。沢山の日本人が馬鹿の一つ覚えのように「ストンハウスロッジ」を目指し、いつも日本人だらけでした。奥の塔に三方向が窓に囲まれた２人部屋があり、幾多郎を聞きながらストン状態でいろんな話をしたものでした。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>私がストンハウスを利用した1980年代半ばは、ストンハウスの従業員に「ナマステおじさん」という人がいて「ナマステ」と部屋に入ってきて、ガンジャを売ってくれたりしたものだった。<br />
ポリさんの横でボンしていても何も言われない長閑な時代でした。沢山の日本人が馬鹿の一つ覚えのように「ストンハウスロッジ」を目指し、いつも日本人だらけでした。奥の塔に三方向が窓に囲まれた２人部屋があり、幾多郎を聞きながらストン状態でいろんな話をしたものでした。</p>
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		<title>ogata より</title>
		<link>http://indo.to/blog/archives/202#comment-13</link>
		<dc:creator>ogata</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 14 Dec 2009 20:15:59 +0000</pubDate>
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		<description>近くの小さな食堂・・・のひとつの経営者夫妻が、今ではタメルに中級クラスのホテルのオーナーになってます。
ご主人のほうは、その他の旅行関係ビジネスも手がけているようです。
私がカトマンズを再訪したときには奥さんのほうと話をしたのですが、ご主人はアメリカに滞在中とのことでした。
街の様子の変遷とともに、そこに暮らす人々の様々な人生模様もあるわけですね。
以前、訪れたときと自分自身の立場もずいぶん変っているし、時の移ろいをしみじみと感じました。
</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>近くの小さな食堂・・・のひとつの経営者夫妻が、今ではタメルに中級クラスのホテルのオーナーになってます。<br />
ご主人のほうは、その他の旅行関係ビジネスも手がけているようです。<br />
私がカトマンズを再訪したときには奥さんのほうと話をしたのですが、ご主人はアメリカに滞在中とのことでした。<br />
街の様子の変遷とともに、そこに暮らす人々の様々な人生模様もあるわけですね。<br />
以前、訪れたときと自分自身の立場もずいぶん変っているし、時の移ろいをしみじみと感じました。</p>
]]></content:encoded>
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	<item>
		<title>うだまな より</title>
		<link>http://indo.to/blog/archives/202#comment-12</link>
		<dc:creator>うだまな</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 13 Dec 2009 13:36:19 +0000</pubDate>
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		<description>この宿に泊まったのは、学生最後の冬（90年12月）で、約3週間のエベレストへのトレッキングの後のこと。
1小さなベランダのある狭い部屋に、10日間くらいいました。
最後にネパールに行ってから17年も経ってしまい、また昔の日記を読み返すこともできず、遠い記憶ですが、ジョッチェンでもなくタメルでもなく、この宿に多くの日本人が集まっていましたね。
お金も残り少なかったこともあり、この宿にたどり着き、近くの小さな食堂でダルバーツをよく食べていました。
インドとは違って、観光客のエリアでもなく、味も店の人も穏やかで、妙に居心地が良かった記憶があります。
今回は、何気にネットを覗いて、このページに立ち寄り、なんだか懐かしい気持ちになりました。
私自身、この次にネパールに行く機会があるのか･･･。子供たちと一緒に行けるなら幸せなことでしょうが、是非、足跡をもう一度残したいですね。
</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>この宿に泊まったのは、学生最後の冬（90年12月）で、約3週間のエベレストへのトレッキングの後のこと。<br />
1小さなベランダのある狭い部屋に、10日間くらいいました。<br />
最後にネパールに行ってから17年も経ってしまい、また昔の日記を読み返すこともできず、遠い記憶ですが、ジョッチェンでもなくタメルでもなく、この宿に多くの日本人が集まっていましたね。<br />
お金も残り少なかったこともあり、この宿にたどり着き、近くの小さな食堂でダルバーツをよく食べていました。<br />
インドとは違って、観光客のエリアでもなく、味も店の人も穏やかで、妙に居心地が良かった記憶があります。<br />
今回は、何気にネットを覗いて、このページに立ち寄り、なんだか懐かしい気持ちになりました。<br />
私自身、この次にネパールに行く機会があるのか･･･。子供たちと一緒に行けるなら幸せなことでしょうが、是非、足跡をもう一度残したいですね。</p>
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