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	<title>これでインディア　エクスプレス</title>
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	<description>インド留学日記</description>
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		<title>ピート・ベストはインド生まれ</title>
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		<pubDate>Sat, 07 Nov 2009 23:24:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>arukakat</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画と音楽]]></category>

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		<description><![CDATA[　インド好きの日本人と交流していると、インドにはまったきっかけがビートルズだったという人が結構いることに気付く。何を隠そう、僕もビートルズ・ファンで、インドに興味を持ったきっかけのひとつは確実にビートルズである。 　ビー &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/148">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　インド好きの日本人と交流していると、インドにはまったきっかけがビートルズだったという人が結構いることに気付く。何を隠そう、僕もビートルズ・ファンで、インドに興味を持ったきっかけのひとつは確実にビートルズである。<br />
　ビートルズのメンバーと言うと、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの４人になる訳だが、ファンの間で「第５のビートル」と呼ばれる人物もいる。それは時と場合によってベーシストのスチュワート・サトクリフであったり、マネージャーのブライアン・エプスタインであったり、プロデューサーのジョージ・マーティンやフィル・スペクターであったり、ジョン・レノンの妻ヨーコ・オノであったりするのだが、「第５のビートル」としてもっとも有名なのは、リンゴ・スターの前にビートルズのドラマーを務めていたピート・ベストであろう。<br />
　ピート・ベストは１９６０年から６２年の間、ビートルズのドラマーとして活躍していた。ピート・ベストがビートルズを脱退した理由は現在まで当事者や音楽研究家やファンの間でいろいろ議論されているのだが、一番面白いのは、ピート・ベストがメンバーの中で一番ハンサムで人気者だったために嫉妬され、バンドから追放されたというものである。ピート・ベストが抜け、リンゴ・スターが加入した新生ビートルズは、あれとあれよと言う間に２０世紀を代表する音楽家へと成長して行った訳だが、ピート・ベストの方はしばらく地味に音楽活動を続けた後、公務員になって細々と生計を立てていたようである。そして退職を機にピート・ベスト・バンドを結成し、再びドラマーとして活動中だ。<br />
　インド好き日本人にビートルズ・ファンが多いのは、ビートルズがスィタールなどのインド楽器を取り込んだことや、インドのリシケーシュで修行をしたことなどにより、ビートルズとインドがつながりを持っているからである。しかし、１１月６日付けのデリー・タイムズ（タイムズ・オブ・インディア）紙を読んで、ピート・ベストが実はインド生まれであることを初めて知った。ビートルズとインドに、そんな縁もあったとは・・・！現在ピート・ベストはリバプールのプロモーションのためにデリーを訪れており、インタビューの中で、自分の出自を明らかにした。</p>
<div style="text-align: center"><img src="http://www.indo.to/log/media/3/20091108-photo0128.jpg" width="307" alt="20091108-photo0128.jpg" /><br />
ピート・ベスト</div>
<p><span id="more-148"></span><br />
　ピート・ベストは、１９４１年、英領インドのマドラス（現チェンナイ）に生まれた。父親は軍人だったようである。彼はマドラスの他、ボンベイ（現ムンバイー）にも住んだことがあり、酷暑期には山間の避暑地で避暑をしていたそうだ。ピート・ベスト一家はインド独立前の１９４５年にリバプールに戻ったが、母親がデリー生まれだったこともあり、家庭ではビリヤーニー、プラーオ、チキン・カレーなどの北インド料理がよく出されていたと言う。<br />
　今回ピート・ベストは実に６４年振りにインドを訪れたことになる。母親の生まれ故郷であるデリーを訪れたのは初めてみたいだ。ピート・ベストはインタビューの中で、インドの人々はあまり変わっていないと語っている。多少リベラルになって、クリケットやホッケーの他にサッカーも人気になっていることぐらいが大きな変化だと述べている。<br />
　デリーでピート・ベスト・バンドのライブがあったようだが、全く情報がなかったために行きそびれてしまった。だが、近々、リバプールのプロモーションのために、サッカーとビートルズをテーマにしたイベントが開催される予定のようで、それは是非見に行ってみたいものである。</p>
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		<title>日印合作映画、マーシャルアーツの起源を辿る！</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Apr 2009 20:55:40 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[映画と音楽]]></category>

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		<description><![CDATA[　インドを代表する音楽家ARレヘマーンが４月上旬に日本を電撃訪問していたことは周知の事実であるが、どうも今回の訪日によって日印合作映画のプロジェクトが動き出したようだ。４月１４日付けのデリー・タイムズ・オブ・インディア紙 &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/147">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　インドを代表する音楽家ARレヘマーンが４月上旬に日本を電撃訪問していたことは周知の事実であるが、どうも今回の訪日によって日印合作映画のプロジェクトが動き出したようだ。４月１４日付けのデリー・タイムズ・オブ・インディア紙による。</p>
<div style="text-align: center"><img src="http://www.indo.to/log/media/3/20090414-photo0126.jpg" width="360" alt="20090414-photo0126.jpg" /><br />
鎌倉の大仏とレヘマーン</div>
<p><span id="more-147"></span><br />
　プロジェクトには、ARレヘマーン、インド人映画監督バラトバーラー、そして日本人音楽家の久石譲が参加する。また、ウォルト・ディズニーも関与するようだ。レヘマーンと共にバラトバーラーも日本を訪れていたようで、４月６日に２人は久石譲と会い、映画について話し合ったと言う。</p>
<div style="text-align: center"><img src="http://www.indo.to/log/media/3/20090414-photo0127.jpg" width="259" alt="20090414-photo0127.jpg" /><br />
左からバラトバーラー、久石譲、ARレヘマーン</div>
<p>　予算２５億ルピーの大予算映画で、バラトバーラーがプロデューサーと監督を兼任する。キャストとしては、タミル語映画界のスーパースター、カマラハーサンの他に、日本からは浅野忠信が出演するようである。<br />
　映画の全貌はまだ明らかになっていないが、どうもマーシャルアーツの起源を辿る旅となるようである。その中で、マーシャルアーツの起源はインドのケーララ州にあるということが主張される模様だ。つまり、ケーララ州のカラリパヤットゥをテーマにした映画だと思われる。<br />
　まだプロジェクトは始動し始めたばかりなので、公開まで時間がかかるだろうが、何とも楽しそうな映画になりそうである。</p>
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		<title>現実世界のスラムドッグ＄ミリオネア</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Feb 2009 01:23:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>arukakat</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画と音楽]]></category>

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		<description><![CDATA[　現在世界中で話題を独占中の英国映画「スラムドッグ＄ミリオネア」（2008年）。ムンバイーのスラム出身の若者が、人気クイズ番組「Kaun Banega Crorepati（クイズ＄ミリオネアのインド版）」に出演し、見事２ &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/146">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　現在世界中で話題を独占中の英国映画「スラムドッグ＄ミリオネア」（2008年）。ムンバイーのスラム出身の若者が、人気クイズ番組「Kaun Banega Crorepati（クイズ＄ミリオネアのインド版）」に出演し、見事２千万ルピー（４千万円）の賞金を獲得するまでを描いた作品である。<br />
　インドでは１月２３日に公開されたが、評価は賛否両論に分かれており、今でも映画に対する論評が新聞などに掲載され続けている。映画中にも名前だけ登場したボリウッド映画界のスーパースター、アミターブ・バッチャンが、「スラムドッグ＄ミリオネア」についてコメントをした、しないというすったもんだがあったのも記憶に新しい。<br />
　批判的な意見の中では、「インド＝貧困」というステレオタイプな先入観を西洋人が未だに引きずっていることを非難するものが多いのだが、「映画のストーリーは現実的ではない」というピントの外れたものも散見される。映画を最後まで見ればはっきりと、スラム出身の若者がクイズ番組で大金を手に入れるストーリーは「It is written（フィクションです）」と書かれており、ダニー・ボイル監督が決して準ドキュメンタリー映画のつもりでこの映画を撮ったのではないことは明らかである。<br />
　しかし、実は貧しい人がクイズ番組で多額の賞金を獲得するという出来事は、過去に全くなかったことではない。２００９年１月１３日付けのヒンドゥスターン紙による。</p>
<p><span id="more-146"></span><br />
　マハーラーシュトラ州アコーラー県バープーナガル出身のガンシャーム・バーマン（３５歳）は、ブリハンムンバイー市局でスイーパー（掃き掃除人）の仕事をする貧しい人物である。彼の家の神棚には、ヒンドゥー教の富の神であるラクシュミーとガネーシュと共に、映画スター、サルマーン・カーンの写真が祀られている。その理由はと言うと・・・<br />
　以前、ガンシャームは借金に苦しんでおり、借金取りの取り立てに耐えかねて、自殺すら考えていた。起死回生のため、彼はソニー・エンターテイメント・テレビジョン（SET）が放送するサルマーン・カーン司会のクイズ番組「10 Ka Dum」に出演した。そこで彼は見事１５万ルピーの賞金を獲得し、借金を返済することが出来たのであった。そのため、今ではガンシャームはサルマーンを神様として信仰しているのである。<br />
　ムンバイーでオートリクシャー運転手を生業とするヴィシャール・ナートケーも同じような幸運に巡り会った人物である。彼はムンバイーのヴォーリーヴァリーで妻、母親、８歳の息子と暮らしているが、１７万５千ルピーの借金があった。一攫千金を夢見て「10 Ka Dum」に出演したヴィシャールは、対戦者のインド工科大（IIT）卒のエリート・エンジニアを打ち負かし、見事１００万ルピーの賞金を獲得した。<br />
　このように、インドでは多額の賞金が用意された一般人参加型番組がヒットしており、借金に苦しむ貧しい人が背水の陣で番組に挑戦し、見事多額の賞金を勝ち取って人生を立て直すような例はいくらでも見られるようである。「スラムドッグ＄ミリオネア」のストーリーは全く非現実的とも言えない。</p>
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		<title>ナイルさん</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Sep 2008 22:54:46 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[映画と音楽]]></category>

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		<description><![CDATA[　マラヤーラム語映画界のスーパースター、モーハンラール主演で、銀座のナイルレストランの創業者アイヤッパン・ピッライ・マーダヴァン・ナーイル（日本ではAMナイルとして通っている）の映画が制作中のようである。 　AMナイルは &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/145">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　マラヤーラム語映画界のスーパースター、モーハンラール主演で、銀座の<a href="http://www.ginza-nair.co.jp/">ナイルレストラン</a>の創業者アイヤッパン・ピッライ・マーダヴァン・ナーイル（日本ではAMナイルとして通っている）の映画が制作中のようである。<br />
　AMナイルは1905年、現ケーララ州のティルヴァナンタプラム（トリヴァンドラム）出身の独立運動家で、1928年に日本に渡って京都帝国大学工学部に留学し、そのまま日本に留まって祖国インドのために独立運動を続けた人物である。<br />
　ラース・ビハーリー・ボース、スバーシュ・チャンドラ・ボース、ラーダー・ビノード・パールなど、日本と関わりの深いインド人たちとも親交を結んだ他、モンゴル奥地へスパイ活動に行ったり、満州建国大学で客員教授を務めたりと、波瀾万丈の人生を送っている。1949年には銀座にインド料理レストランを開店し、料理を通した日印交流を始めた。AMナイルは1990年に亡くなったが、息子のGMナイル、孫の善己ナイルがナイルレストランののれんを守り続けている。<br />
　そのAMナイルの伝記映画ということで、これはかなり面白い映画になりそうである。既に映画のウェブサイトが公開されており、進捗状況を確認できる。題名はすばり、「<a href="http://www.nairsan.com/">Nair San ナイルさん</a>」である。</p>
<div style="text-align: center"><img src="http://www.indo.to/log/media/3/20080908-photo0125.jpg" width="355" alt="20080908-photo0125.jpg" /><br />
ナイルさん</div>
<p><span id="more-145"></span><br />
　ウェブサイトによると、既にモーハンラールの出演が決定している他、ジャッキー・チェンがカメオ出演することまで内定済みのようである。ボリウッド俳優のアニル・カプール、アヌパム・ケール、ラーラー・ダッターなどが候補に挙がっているが、こちらはまだ決まっていないようだ。日本からは小雪がピックアップされている。<br />
　また、音楽はARレヘマーンが担当することになりそうだ。監督はアルバートという人物だが、ボリウッドでは無名の人物である。伝記映画を、娯楽要素を盛り込みながら鑑賞に耐えられるだけの作品に仕上げるのは困難だ。スバーシュ・チャンドラ・ボースを題材にしたシャーム・ベネガル監督の「Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero」（2005年）は、史実を忠実になぞりすぎて、ただの退屈な教科書映画になってしまった。アルバート監督がどこまでそれに成功するか、見物である。<br />
　公開は２００９年末が予定されているが、もっと遅れる可能性もあるだろう。<br />
　ちなみにモーハンラールは現在、役作りのため、日本語と中国語を勉強中らしい。９月第１週から日本ロケが始まっているとの情報もあり、現在日本にモーハンラールがいるのではないかと思われる。</p>
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		<title>インドでゴキブリ減少中？</title>
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		<pubDate>Thu, 28 Feb 2008 22:44:04 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[雑談]]></category>

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		<description><![CDATA[　人間が絶滅しても生き残ると言われているゴキブリ。だが、どうやらインドではゴキブリの数が急速に減少しているらしい。・・・え？インドで？まさか？ 　２月１３日付けのヒンドゥスターン紙によると、話はこうである。デリー、バンガ &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/144">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　人間が絶滅しても生き残ると言われているゴキブリ。だが、どうやらインドではゴキブリの数が急速に減少しているらしい。・・・え？インドで？まさか？<br />
　２月１３日付けのヒンドゥスターン紙によると、話はこうである。デリー、バンガロール、チェンナイなどでは大学院にて、マハーラーシュトラ州では１１年生で解剖の授業が行われるのだが、解剖対象となるのはゴキブリである。３年前まで、大学は業者から１００匹１５ルピーの値段で解剖用のゴキブリを購入していた。だが、ゴキブリが減少して来たことで値段が高騰し、現在では１匹１０〜１５ルピーになっていると言う。この３年間でゴキブリの値段は５０〜１００倍になったことになる。ゴキブリの値段が高騰したため、学校や大学の当局は学生たちに、自分でゴキブリを飼育するか、どこかからゴキブリを調達して来るように通達していると言う。</p>
<p><span id="more-144"></span><br />
　ゴキブリ減少の要因はいくつかある。最大の要因は殺虫スプレーの普及のようだ。現在インドの市場では、ゴキブリ用殺虫スプレーは１００ルピー以下で手に入る。人々の衛生観念が向上して来たのもその要因である。また、生物学を専攻する学生の増加もゴキブリ減少につながっているらしい。２００１年のムンバイーの生物学部の学生数は５万３千人だったが、２００７年には９万人に増えた。インド全土では５０万人以上になっている。インドの１０億人パワーは、ゴキブリすら絶滅に追い込むほどのものらしい・・・。<br />
　ちなみに、ゴキブリを学校や大学に供給する仕事は、排水溝などの掃除人が副業として行っているようだ。本当に面白い国である。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>ウィキペディア、インド言語の勢力図</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Jan 2008 22:24:00 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[雑談]]></category>

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		<description><![CDATA[　ウィキペディアと言えば、今やインターネット利用者の間でかなり頻繁に参照されているオンライン無料多言語百科事典である。英語での情報量がもっとも膨大だが、日本語でもかなりの情報を得ることができるし、インド諸言語でもいろいろ &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/143">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　ウィキペディアと言えば、今やインターネット利用者の間でかなり頻繁に参照されているオンライン無料多言語百科事典である。英語での情報量がもっとも膨大だが、日本語でもかなりの情報を得ることができるし、インド諸言語でもいろいろ書かれている。<br />
　<br />
　１月２９日付けのヒンドゥスターン紙に、ウィキペディアの各インド言語ページの状況について言及があった。インドの言語で書かれた項目の数は以下の通りである。<br />
　テルグ　　　　　　　38,351<br />
　マニプリー　　　　　22,000<br />
　ベンガリー　　　　　16,883<br />
　ヒンディー　　　　　 15,806<br />
　マラーティー　　　　15,613<br />
　ウルドゥー　　　　　　6,781<br />
　マラヤーラム　　　 　5,394<br />
　カンナダ　　　　　　　5,096<br />
　サンスクリット　　　　3,877<br />
　グジャラーティー　 　　407<br />
　パンジャービー　　　　282<br />
　アッサミー　　　　　　　174</p>
<p><span id="more-143"></span><br />
　インド諸言語の中で一番頑張っているのはテルグ語。テルグ語はなぜかいつもものすごく元気だ。テルグ語映画の公開本数もしばしばヒンディー語映画を凌駕している。<br />
　マニプリー語が２位と健闘しているのは意外である。振興団体などがあるのだろうか？おそらくここでマニプリー語と言われているのは、メイテイ語ではなく、<a href="http://bpy.wikipedia.org/">ビシュヌプリヤー・マニプリー語</a>と呼ばれているものだろう。だが、ウィキペディアでそこまで多くのページがあるとは思えなかった。よって、単なる間違いかもしれない。この位置に来るべきはタミル語ではなかろうか？表ではタミル語が挙がっておらず、不自然である。タミル語ならこの位置も納得だ。<br />
　この表ではヒンディー語は４位。インドの公用語としての立場から考えれば屈辱的だが、相手がテルグ語、タミル語、ベンガリー語など、地元の人々から熱狂的に愛されている言語なので、仕方ないかもしれない。すぐに５位のマラーティー語にも抜かれてしまいそうだ。<br />
　古典語サンスクリット語の項目が3,877もあることも意外なのだが、それよりもむしろ、グジャラーティー語やパンジャービー語のような力のある言語が桁違いで下位に甘んじていることの方が不思議だ。その原因はよく分からない。<br />
　ウィキペディアの内容の信頼性についてはいろいろな意見があるが、インド諸言語のページが充実してくれると、表記の問題などで参照にしやすくなり、個人的には便利だ。ヒンディー語も是非巻き返してもらいたい。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>インド映画の評価、日本人の方が特殊なのか？</title>
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		<pubDate>Mon, 24 Dec 2007 22:25:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>arukakat</dc:creator>
				<category><![CDATA[雑談]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://amam.in/arukakat/2007/12/25/%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%81%ae%e8%a9%95%e4%be%a1%e3%80%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e6%96%b9%e3%81%8c%e7%89%b9%e6%ae%8a%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/</guid>
		<description><![CDATA[　読売新聞が以下のような記事を掲載していた。 ＊　＊　＊ 「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画 　【ブリュッセル＝尾関航也】ベルギー北部フランドル（英名フランダース）地方在住のベルギー人映画監督が、クリ &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/142">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　読売新聞が以下のような記事を掲載していた。</p>
<div style="text-align: center">＊　＊　＊</div>
<p><b>「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画</b><br />
　【ブリュッセル＝尾関航也】ベルギー北部フランドル（英名フランダース）地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。</p>
<p><span id="more-142"></span><br />
　物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、２７日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん（３６）。制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。<br />
　物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。原作は英国人作家ウィーダが１８７０年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」（ボルカールトさん）としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に５回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、３年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界６か国での計１００人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。<br />
　プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん（３６）は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。<br />
　上映時間は１時間２５分。使用言語は主にオランダ語で、日英の字幕付きＤＶＤが今月からインターネットなどで販売されている。<br />
<a href="http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm">http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm</a></p>
<div style="text-align: center">＊　＊　＊</div>
<p>　これだけでも非常に興味深いニュースなのだが、長年ボリウッドに関わって来ている身としては、この日本人の特殊性をインド映画に対する日本人の一般的な評価と結び付けてみたくなった。<br />
　日本人の中には未だにインド映画に対する偏見が強い。僕はずっとヒンディー語映画の批評を続けているが、あるときある人から、「インド映画で批評なんてできるんですか？」と、インド映画に対する侮辱ともとれる発言をいただいたことがある。そのときから、僕のヒンディー語映画評がヒートアップしたことは言うまでもない。娯楽映画には娯楽映画の批評の方法があり、芸術映画や社会派映画の批評とは切り離して考えなければならない、というのが持論である。インド映画のような娯楽映画の批評には、バラタの「ナーティヤシャーストラ」のナヴァラサ論が非常に役に立つと思う。<br />
　話がそれてしまったが、「破滅の美学」を理解する日本人を逆に考えてみると、極論ではあるが、「娯楽の美学」を理解できない日本人とも取れる。もしかしたらインド映画を理解できないのは世界でも日本人だけなのではないかと思われて来た。そして、インド映画を楽しんでいる我々少数の日本人は、もしかしたら国際的感覚を身に付けた一歩進んだ日本人なのではないかと思い込んでみたくなった。<br />
　とりあえず何かの機会があったら「パトラッシュ」を見て、どんなことになっているか見てみたい。</p>
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		<title>ヒジュラーID</title>
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		<pubDate>Tue, 11 Dec 2007 09:03:42 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[雑談]]></category>

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		<description><![CDATA[　１２月５日付けのヒンドゥスターン紙によると、ジャイプルのヒジュラーたちは、自分が本物のヒジュラーであることを証明するため、ヒジュラー証明書を携帯するようになったらしい。 　ジャイプルのヒジュラー・グル、ムンニー・バーイ &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/141">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　１２月５日付けのヒンドゥスターン紙によると、ジャイプルのヒジュラーたちは、自分が本物のヒジュラーであることを証明するため、ヒジュラー証明書を携帯するようになったらしい。<br />
　ジャイプルのヒジュラー・グル、ムンニー・バーイー・バナーラスワーリーによると、最近ジャイプルでは、偽者のヒジュラーたちが出没し、問題になっていると言う。単なる同性愛者や、手っ取り早く収入を得たい者たちが、ヒジュラーに変装して結婚式や出産式などに現れ、人々から金品を巻き上げるようになった。よって、本物のヒジュラーたちの商売に支障が出るようになった。ジャイプルだけでも少なくとも５０人の偽ヒジュラーが暗躍しているらしい。</p>
<p><span id="more-141"></span><br />
　そこで、人々が本物のヒジュラーを見分けやすいように、所有者が本物のヒジュラーであることを証明する身分証明書を発行する運びとなった。家などにヒジュラーがやって来たときは、これからはまず身分証明書の提示を要求すればいいらしい。<br />
　これはジャイプルの話であるが、驚くべきことに、既にデリー、コールカーター、ムンバイーなどのヒジュラーたちは、同様の身分証明書システムを採用しているらしい。<br />
　現在北インドでは結婚式シーズンの真っ最中だが、外国人も、偽のヒジュラーに騙されず、本物のヒジュラーの祝福を得られるようにしたい。</p>
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		<title>カリズマで世界一周</title>
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		<pubDate>Thu, 11 Oct 2007 01:09:02 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[バイク]]></category>

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		<description><![CDATA[　１０月１１日付けのザ・ヒンドゥー紙に、バイクで世界一周中のインド人冒険家バーラドワージ・ダヤーラ（３７歳）の記事が掲載されていた。 バーラドワージ・ダヤーラ 　アーンドラ・プラデーシュ州ヴィシャーカパトナム（通称ヴィザ &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/140">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　１０月１１日付けのザ・ヒンドゥー紙に、バイクで世界一周中のインド人冒険家バーラドワージ・ダヤーラ（３７歳）の記事が掲載されていた。</p>
<div style="text-align: center"><img src="http://www.indo.to/log/media/3/20071011-photo0124.jpg" width="350" alt="20071011-photo0124.jpg" /><br />
バーラドワージ・ダヤーラ</div>
<p>　アーンドラ・プラデーシュ州ヴィシャーカパトナム（通称ヴィザーグ）在住のバーラドワージ氏は、昨年４月２日にヴィザーグを出発し、チェンナイ、ティルパティ、ハイダラーバード、プネーなどを巡ってムンバイーからイランへ飛び、中東やエジプトを巡った後、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、インドネシアを通過して、つい最近インドに戻って来たようだ。当然、ずっとバイクで移動したわけではなく、所々空路を利用している。彼は１０月１０日にデリーに到着し、これからコールカーター、ムンバイー、バンガロールなどを凱旋走行しながら、出発点のヴィザーグへ向かう。</p>
<p><span id="more-140"></span><br />
　バイクで世界一周をする旅行者は珍しいわけではない。自転車で世界を一周している人もいるし、もっとすごい冒険をしている旅人もいる。だが、バーラドワージ氏が特殊なのは、企業の後援を全く受けていないということもあるが、何よりインド製バイクで世界一周を達成したことに尽きる。彼は、インドのバイクに世界一周に耐えうるだけの能力があることを証明した。しかもよく見ると（よく見なくても）そのバイクはヒーロー・ホンダ社の225ccバイク、カリズマであることが分かる。何を隠そう、僕が乗っているバイクである。長距離旅行用に各種改造がなされているが、原型は十分留めている。<br />
　走行距離は50,000km。当然、自分でメンテナンスをしながら走行したようだが、カリズマが50,000kmの道のりを走行するだけの耐久度のあるバイクだということが分かっただけでもちょっと嬉しい。ちなみに僕のカリズマの走行距離は現在30,000km弱である。<br />
　バーラドワージ氏の<a href="http://bikingtheworld.blogspot.com/">ブログ</a>によると、彼はパラグライダー、セーリング、トレッキング、ロッククライミングなどに長けており、空手の黒帯を持っているらしい。職業はそれらのインストラクターのようである。<br />
　ただ、旅人の視点で彼の世界一周「五大陸制覇」のルートを見てみると、必ずしも手放しで賞賛すべきものではない。まず痛いのは、パーキスターンを経由してイランへ行っていないことだ。ムンバイーから空路でテヘラン入りしてしまっている。やはり彼はインド人なので、パーキスターン入国は厳しかったのだろうが、世界一周やユーラシア大陸横断を志す旅行者にとって、インド→パーキスターン→イランのルートは絶対に外せない必修科目みたいなものであり、これを外したら冒険の価値は半減というものだ。<br />
　エジプトを一周して「アフリカ大陸制覇」としてしまっているのも疑問を感じる。エジプトはアフリカか中東か、という疑問は昔からあるし、やはりアフリカ大陸制覇を公言するにはケープタウンを拝んで来るべきであっただろう。<br />
　同様に、オーストラリアも東海岸だけ旅行して終わりにしてしまっている。中国が全く抜けているのも残念だ。まだインド人の中国入国は規制が厳しいのだろうか？<br />
　バーラドワージ氏によると、ヨーロッパやオーストラリアはとても美しい場所がいくつもあったと言う。だが、アメリカは面白い場所が少なかったと語っていた。<br />
　それにしても、インドが経済成長して来たことにより、経済的に余裕のあるインド人の行動パターンがだんだん日本人や先進諸国の人々と変わらなくなって来ているように感じる。バイクでインド一周、世界一周という発想は、一昔前のインド人ではちょっと考えられなかった。</p>
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		<title>インドにブルボン王家の末裔</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Oct 2007 07:27:24 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[雑談]]></category>

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		<description><![CDATA[　時事通信がこんなニュースを報道していた。 §§§ 仏王家の筆頭継承者はインド人？＝「ブルボン」名乗る一家が実在 　太陽王ルイ１４世らを生んだ欧州の代表的王家の一つ、フランス・ブルボン家の筆頭継承者がインド人である可能性 &#8230; <a href="http://indo.to/arukakat/archives/139">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　時事通信がこんなニュースを報道していた。</p>
<div style="text-align: center">§§§</div>
<p><b>仏王家の筆頭継承者はインド人？＝「ブルボン」名乗る一家が実在</b><br />
　太陽王ルイ１４世らを生んだ欧州の代表的王家の一つ、フランス・ブルボン家の筆頭継承者がインド人である可能性が浮上している。インド中部のボパール郊外に「ブルボン」を名乗る一家が実在するためで、これを題材にした歴史小説「ル・ラジャ（ヒンディー語で王の意味）・ブルボン」が今、仏国内で３万５０００部と売れ行きを伸ばしている。<br />
　この小説の著者で、自らもギリシャ王家の末裔（まつえい）であるパリ在住の歴史家ミシェル・ド・グレース氏（６８）は２００５年１１月にインドを訪れて一家と面会した。その結果、「一家はブルボンの子孫だと確信した」と話す。<br />
<a href="http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&amp;k=2007100800176">http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&amp;k=2007100800176</a></p>
<div style="text-align: center">§§§</div>
<p><span id="more-139"></span><br />
　あまり詳しく書かれていなかったので、自分でちょっと調べてみた。<br />
　ボーパール郊外に住む弁護士兼農家のバルタザール・ナポレオン・ド・ブルボン３世が、かつてフランスを支配し、現在スペイン王家となっているブルボン家の末裔であることは、割と以前から知られていたようだ。インドの新聞では過去に何度も報道されているし、スペインのジャン・カルロス・ブルボン王も数年前にインドを訪れた際、インドに住むブルボン家の末裔との会見を希望したとされる。<br />
　バルタザール・ナポレオン・ド・ブルボンの祖先のジャン・フィリップ・ド・ブルボンは、フランス・ブルボン家の祖であるアンリ４世の甥にあたる人物だったが、１６世紀中頃に決闘によって親戚を殺してしまい、亡命した。その後の軌跡は諸説ある。海賊に捕まってエジプトに連れて行かれ、そこでさらにエチオピア人の捕虜となって、ゴアに辿り着いたという説や、マドラスからインドに上陸し、ベンガルへ行ったという説などがある。記事で挙げられている「Le Raja de Bourbon」は、前者の説を脚色して歴史小説にしたようだ。とにかく、インドに上陸したジャン・フィリップは１５６０年にひょんなことからアクバルの家臣となり、アーグラーに住むようになった。<br />
　ジャン・フィリップはアクバルの意向によって、後宮女医だったポルトガル人ビービー・ジュリアナと結婚する。この２人がインド・ブルボン家の祖となる。２人はアーグラーで没し、アクバルが建造した教会に葬られた。<br />
彼らの子孫はジャハーンギール、シャージャハーン、アウラングゼーブなど歴代の皇帝に仕え、遷都に伴ってデリーに移り住んだ。ところがムハンマド・シャー・ランギーラーの治世の１７３９年にナーディル・シャーの侵略に遭い、一族は安全な場所への移住を決断する。<br />
　ブンデールカンドのナルワル王家の招きに従い、フランシス・ブルボンら５００人の一族はナルワルに移住したが、そこで冷遇され、ある晩、一族の多くが虐殺されてしまう。そこで１７５８年にブルボン家はボーパールへ逃亡し、王家に仕えるようになる。ブルボン一族は主に軍事方面で才覚を表し、マラーター族との戦いでは特に活躍した。バルサザール・ブルボンの妻イザベラは、１８２９年までボーパール王国の首相を務め、マダム・ドゥルハンと呼ばれた。<br />
　しかし、インド独立後、他の王家や貴族と同様にインドのブルボン家も特権を失い、一般庶民になってしまった。だが、ここに来て「Le Raja de Bourbon」の出版もあり、インドのブルボン家に俄かに注目が集まっている。何と言っても血統が証明されれば、バルタザール・ナポレオン・ド・ブルボンは、世界のブルボン家の筆頭王位継承者となるのである。彼自身、民主主義の世の中での王位継承には興味がないと述べているものの、DNA鑑定や、パリ訪問などには前向きである。</p>
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