天竺万葉集

 ある筋の噂によると、源氏物語の阿仏尼本という非常に貴重な古写本がインドにあるという(参照)。発見されたら即国宝級の扱いになるくらい貴重で、学術的にもその価値は計り知れない。戦前に、ある英国籍インド人貿易商の手に渡ったらしいが、その後消息が途絶えている。今でも現存しているか分からないが、もし機会があったら阿仏尼本の発見に寄与したいと思っている。
 ところが、我がジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)の言語学科で、阿仏尼本と同じくらい日本文学界に衝撃を与える作品群が本日発見された。日本語学科学士課程の教室の壁に、その作品群は無造作に掲示されていた。僕はその文学的価値を即座に喝破し、それらを「天竺万葉集」と名付けた。僕は決死の覚悟でその作品群を書写し、ここに掲載するものである。
 まずはAbhishekさんの俳句。
 古日記
 はさめた花は
 なつかしい
 古い日記にはさんでおいた花を見て懐かしい気持ちになった、ということだろう。「はさんだ花」にした方がよかったんじゃないかな・・・って全然大したことない。
 次はTariqさんの俳句。
 世界 今
 たばこすってる
 今日のきり
 世界には煙草を吸っている人がたくさんいる、という俳句だと思うが、「今日のきり」とはなんだろう?斬新な日本語である。


 ・・・ここまではまだまだ習作の段階だが、ここからが本領発揮である。
 次は詠み人知らずの短歌。
 温泉で
 君を見た時
 一目ぼれ
 未婚僕にも
 妻帯気持ち
 温泉で一目惚れをして、未婚の僕も結婚したくなったよ、という意味の詩だろう。温泉の詩的感興を理解しているあたり、この詩人のただならぬ才能を感じさせる。また、最後の「七・七」の部分に日本語への深い理解と憧憬を感じる。名作中の名作である。
 次の2作はオーム・プラカーシュさんの作品。
 球に悩
 津波の面も
 人が無視
 外面で
 実害計けぬ
 吾が心
 日本語の近未来的使用法が行われており、日本語ネイティヴ・スピーカーにとってもその理解は困難である。1作目はおそらく昨年12月の大津波のことを謳っているのだろうが、その災害に対する苦悩と人々の関心の低さに対する憤りがよく表現されている。2作目は、インド人もインド人の上っ面に騙されるんだ、という魂の叫びが聞こえて来て、我々も自省を促される。
 最後に詠み人知らずの俳句。
 詩人とは
 狂人のよう
 僕もそう
 狂ってなくて詩人なんてやってられっか!という詩人の雄叫びとカミングアウトが凝縮された傑作。軟弱化した日本の文壇に、文学者の意味を問い直させる革命的問題作と言っても過言ではない。
 インド発、日本文学革命、機は熟せり!・・・って僕の作ってるヒンディー語の詩もこの程度なのか・・・!?涙がちょちょぎれる思いだった・・・。

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8 Responses to 天竺万葉集

  1. まー says:

    すす素晴らしい!お友達になりたいです!
    天竺万葉集と名づけたarukakatさんの眼識にも敬服いたします!
    うちによく来るインドの人も素晴らしいです。
    「わさび食べ 彼女の額が 割れました」
    ツーンと来るチリとは違うワサビの辛さを日本人以上に上手く表現しています。
    また、こういうのはご存知ですか。友人からメールで来たのですが、
    (よその国:検定試験での実話です)
    問1 「あたかも」を使って短文を作りなさい。 答:冷蔵庫に牛乳があたかもしれない。
    (以下 略・・・
    ○をあげたいくらいですよね!

  2. 江戸むらさき says:

    世界 今 たばこすってる 今日のきり
    これは、
    世界(地球)が今タバコを吸っているような
    今日の霧の天気
    という意味ではないでしょうか?
    素敵ですよね。

  3. arukakat says:

    >まーさん
    わさびの歌はなかなか素晴らしいですね。
    「あたかも」には参りました。
    >江戸むらさきさん
    これはいとおかし!

  4. 生捨 says:

    インドの俳句といえば、さるところでこんなの発見しました…。
    国際俳句交流協会
    (http://www.haiku-hia.com/hy…)
    ページの「公用語」とか人名などの間違いはさておき、JNUの先生にも熱心な俳句愛好家の方がいらっしゃるんですね。

  5. arukakat says:

    生捨さんの情報収集能力には頭が下がります。JNUの俳句の伝統は、けっこう由緒あるものだったんですねぇ。でも季語が入ってないんだけどなぁ。季語って概念はインドの詩学にはないから難しいかも。詩の中にこういう単語を入れなければならない、という規則は、ガザルのタカッルスぐらいでしょうか。

  6. ことこ says:

    mixiから、ジャンプしてきました。ことこと申します。
    詩を読んで、思わず書き込みしています。
    すごい、面白い。
    勉強になります。

  7. arukakat says:

    そういえば、手帳にメモしたのにここで載せるのを忘れてしまった「天竺万葉集」の2首を、今頃この場で発表いたします。
     まずはサマルティアさんの一句。
     散髪屋
     いつまで続く
     はさみ声
     「はさみ声」という言葉が、あの独特のチョキ!チョキ!という音を思い起こさせてよい。
     次はスレンドラさんの一句。
     檻小鳥
     誰も知らない
     捕縛の苦
     誰も知らない捕縛の苦を味わう檻の中の小鳥とは、作者の置かれた閉塞的状況の比喩であろうか?

  8. இ蝿 says:

    タミル語でも俳句集(ハイクという題でそれらしきもの)が出版されていました。
    故鈴木斌先生は世界のハイクに関心があってその事をお伝えしたら、コピーが欲しいというので送って差し上げた事をおもいだします。
    ご存じのとおりウルドゥー語に万葉集を訳されていましたね。

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