インド人に感謝された日

 インド人は「ありがとう」を言わない民族だとして悪名高い。英語の「Thank you」、「Thanks」ぐらいの軽い意味合いで感謝の言葉を口にするインド人も都市部を中心に増えてきていると思うが、欧米人の会話を聞いていると、やはり彼らの「ありがとう」使用頻度に比べるとインド人は全く「ありがとう」を言わない民族だと思えてくる。だが、その分、インド人に感謝されるとものすごく嬉しい気分になるのも確かだ。
 2005年になり、ナガランド旅行を終えてデリーに戻ってきて、まず最初に気付いたのは、オート・リクシャーに対する規制が厳しくなっていたことである。僕の自宅の前の道では警察が道行くオート・リクシャーを停めて、ちゃんとメーターを使っているか確認し出した。デリーのオート・リクシャーにはデジタル式のメーターが付いているのだが、それを使用しているオート・ワーラー(オート・リクシャーの運転手)はほとんどいない。依然として乗る前に値段交渉をしなければならない状態である。このメーターが導入された当初は警察がマメにチェックしていたのだが、いつの間にか警察も検査をやめてしまい、再びデリー市民はオート・ワーラーと過酷な運賃交渉をしなければならなくなっていた。その状況を改善するため、デリー警察は思い出したようにオート・リクシャーの検査を始めたと見える。


 去年の12月にバイクを盗まれてしまった僕は、再びオート・リクシャー生活に舞い戻った。今日はJNUで新学期の登録手続きを済ませた後、日本大使館に用事があったのでチャーナキャープリーまで行き、そこでオートを拾って自宅へ戻っていた。やはりメーターではなく値段交渉をして乗らなければならなかった。メーターは前々からオンになっており、料金は150ルピー以上になっていた。チャーナキャープリーから南下し、ビーカージー・カーマ・バヴァンを通ってサフダルジャング・エンクレイヴの自宅付近を通りかかっていたところ、僕の乗っていたオート・リクシャーは警察に停められた。その瞬間、オート・ワーラーはメーターをリセットした。メーターで200ルピー近くの運賃は、北デリーの果てから乗ってこなければ指し示さないぐらいの高額な値段だからだ。
「なぜメーターをリセットした!」
警察はオート・ワーラーに怒鳴った。スィク教徒のオート・ワーラーはあれこれ苦しい言い訳を言って何とか言い逃れようとしていた。警察は乗客である僕に「いくらの運賃で乗ってるんだ?」と聞いてきた。ここで僕が正直に答えればオート・ワーラーは御用となってしまったわけだが、心優しい僕は「メーターで行っている」と答えておいた。だが、メーターはオート・ワーラーがリセットしてしまったので、初乗り料金の8.00ルピー、走行距離0.0kmを示しており、どう考えてもメーターで行っていたとは考えられない状態であった。
「どこから乗った?」
警察は僕に聞いて来た。ここで正直に「チャーナキャープリーから」と答えると、さらにオート・ワーラーの立場は危うくなるわけだが、憐憫の情溢れる僕は、「すぐそこから乗った」と答えておいた。すると警察は、「それじゃあオレが一緒に乗るから、客が乗った場所まで戻ってもう一度走れ」とオート・ワーラーに命令した。オート・ワーラーは適当なところまで戻って、そこから警察の検査がある場所まで走った。メーターの料金は8.00ルピーだったが、走行距離は0.2kmになっていた。
 これは言い逃れ不可能かと思ったが、僕の口裏合わせがあったおかげで何とかお咎めなしで済み、無事に解放された。オート・ワーラーは僕に「あなたのおかげで助かった。もし捕まっていたら、罰金2、300ルピーを取られていたところだ」と手を合わせて感謝の言葉を述べた。僕は「それはよかったね」と答えておいた。嘘をついて感謝されたことは少し複雑な気持ちがしたが、インド人も一応感謝という行為は知っているということが分かって嬉しかった。ただ、さすがのオート・ワーラーも、ヒンディー語の「ありがとう」に当たる「ダンニャワード」という言葉は発しなかった。なぜなら「ダンニャワード」という言葉は英語の「Thank you」の訳語として強引に創出されたものであり、インドの文化に、感謝の気持ちを一言のオールマイティーなフレーズで表してしまおうという考え方がないからだ。この場合は、「アープネ・ムジェー・バチャーヤー(あなたは私を助けた)」という言葉が、オート・ワーラーの心からの感謝の気持ちを表していたと言える。

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3 Responses to インド人に感謝された日

  1. KIMI says:

    え、ダンニャワードも最近になって作られた言葉なんですか! そうするとインド人は「感謝される」機会じたいが少ない文化のなかに住んでいるんでしょうか。それはそれで気分的には寂しくもありますが、要はそれも慣れの問題なのかも…。

  2. M.Hyderabadi says:

    ウルドゥー語ではシュークリヤーやメヘルバーニーという感謝を示す言葉があり、古い映画ではヒンドゥーの人でもこの語を使っていました。インドにいた頃、何かをしてもらった時、感謝の意を述べるたびに、「シュークリヤーなんて言わなくていい、当たり前のことをしただけなんだから」、とか、友達に至っては「どうしてシュークリヤーなんて言うの!」と本気で怒られることがしょっちゅうありました。確かにインドではよほどのことがない限り「ありがとう」を言いませんが、インド人の情の深さの表れでもあると思います。アルカカットくんの上記の場合、もし相手がアルカカットくんの友達だったら、つまり助けたり親切をするのが当然の間柄だったら、やっぱり感謝の意を示すことはしなかったかも知れません。日本では「親しき仲にも礼儀あり」の通り、親子の間でも感謝の意を示すことは大事という文化ですが、インドはインドでまるで違う道徳観念があるようですね。

  3. saffron says:

    98から99年にかけて一年弱、インドに留学していたsaffronといいます。前々からホームーページのほうはたまに見させてもらっていましたが、ブログもあったんですねー。おもしろいです。hyderabadiさんがおっしゃるようなインド人の感覚を私も感じたことがあります。ごめんなさい、にも同じ感覚があるような気がします。感謝と謝罪の言葉を素直に口にするのも、そんなこと敢えて言葉にして口に出すなんて水臭いぜー!というのも、両方共感できるのがなんとなく不思議です。私自身は前者ですが。

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