押しかけ女房

 9月17日と18日のヒンドゥスターン紙に気になるニュースが掲載されており、続報を楽しみにしていたのだが、その後何も報道されないので、とりあえず今までの経緯をまとめてみようと思う。
 まず、インドにはガウナーまたはビダーイーと呼ばれる習慣があることを抑えておかなければならない。地方にもよるが、インドでは花嫁は結婚式の後にすぐ花婿の家に行かないことがある。花嫁が花婿の家に行くときには、改めてガウナーという儀式が行われる。結婚式とガウナーの間には通常1年の期間が置かれるが、数年の隔たりがあることもある。これは昔、子供の頃に結婚式が行われていたこともひとつの理由であろう。つまり、シャーディー(結婚式)が今で言う婚約式みたいなもので、ガウナーが結婚式のようなものだ。
 事件は以下のような経緯である。
 ウッタル・プラデーシュ州ジャウンプル県のラージャープル村に住むモーニカー・ドゥベーは、1998年にバダウンワーに住むヴィカース・ミシュラと結婚した。花婿の家族は2年後にガウナーをすると約束した。だが、いろいろな言い訳をされてなかなかガウナーをしてもらえなかった。結局9年経っても花婿の家からお迎えは来なかった。そんな中、ヴィカースが別の女性と結婚していたことが発覚した。モーニカーの父親は裁判所に訴えたが、ヴィカース側は話し合いに応じようとしなかった。
 そこでモーニカーは9月9日に、両親や親戚など一族郎党を引き連れてバスに乗り、バダウンワーのヴィカースの家に押しかけた。だが、ヴィカースの家には錠がかかっており、中には誰もいなかった。モーニカーたちがやって来ることを知って、一家はどこかへ逃亡してしまったのである。この騒動を聞きつけた女性団体スワダーラー・ヨージュナーのプラティマー・スィン会長とその仲間の女性活動家たちも、モーニカーの支援をした。
 モーニカーたちは地方行政長官オフィスへ行き、座り込みを行って正義を求めた。だが、行政長官も何も手を打つことが出来なかった。そのため、モーニカーは行政長官に対し、もし17日までに夫が帰って来なかったら、錠を破壊して家に入り込むと宣言した。なぜなら彼女はヴィカースの正当な妻であり、ヴィカースの家の住人であり、家宅侵入罪にはならないからである。モーニカーはバーラート(結婚式参列者のパレード)を引き連れて村を一周し、最後にヴィカースの家へ行った。

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紫色のサーリーを着ているのがモーニカー

 


 結局ミシュラ一家は期限まで帰って来なかった。そのため、モーニカーはサーリーの端を腰に縛って作業体勢になり、斧で錠を破壊して家の中に上がり込んだ。そして、この家で生き、この家で死ぬことを誓って、ドッカリと座り込んだ。

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斧で錠を破壊するモーニカー

 この後、ヴィカースが帰って来たのか、モーニカーがどうなったのか、続報がないので分からない。とても気になるところである。
 どうもヴィカースがモーニカーと結婚式を挙げておきながら別の女性と結婚したのは、その間に医者になることに成功したからのようだ。おそらく医者になる前にヴィカースは村の一般的な女性と結婚したが、医者になった後は急に高望みを始め、モーニカーとの結婚を反故にして別の女性と結婚したのだろう。だが、裏を返せば、モーニカーとその家族がヴィカースとの結婚にこだわるのも、やはりヴィカースが医者という実入りのいい職に就いたからなのではないかと思われる。一応モーニカーは「今でもヴィカースのことを愛しているし、彼も私のことを愛している。ただ彼は両親に逆らえないだけだ」と語っている。
 普通インドでは花婿がバーラートを引き連れて花嫁の家に行くが、今回は花嫁がバーラートを引き連れて花婿の家に押しかけるという、変わった現象が起きた。

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