山を動かした男

 現在、タイムズ・オブ・インディア紙では毎日、「India Poised」というプロジェクトXのような企画記事が掲載されている。毎日テーマとなる産業セクターがあり、それに関して何かすごいことをした、またはしている一般庶民がピックアップされている。1月7日付けの同紙は交通セクターの特集で、「山を動かした男」の特集がしてあった。


 舞台はビハール州ガヤー県のゲヘロール・ガーティー村。この村には、「山を動かした男」として村人たちから生きた伝説扱いされている人物が住んでいる。その男の名はダシュラト・マンジー。
 ゲヘロール・ガーティー村は、約90mの高さの丘によって、文明のみならず農地から隔離されていた。村人たちは、畑に行ったり、食料を買いに行くために、その丘をいちいち越えて行かなければならなかった。けっこう険しい丘のようで、それを越えるには危険が伴ったようだ。マンジーはその丘を1人で、しかもノミとハンマーのみで、削ろうと思い立ったのである。
 そのきっかけは妻の怪我であった。丘を越えた畑で野良仕事をしていたマンジーのために、妻は弁当を届けに行っていたのだが、その丘を越える際に滑って足を怪我してしまった。以来、マンジーは妻のために丘を越えるための近道を造ることを夢見始める。もちろん、政府に請願するという手段はあった。だが、マンジーには、政府を動かすよりも山を動かす方が簡単に見えた。1960年、まだ20代だったマンジーは、1人、丘を削り始めた。
 だが、当初、人々の反応は冷ややかであった。マンジーは村人たちから「パーガル(狂人)」扱いされ、家族もマンジーのやろうとしていることに理解を示さなかった。特にマンジーがヤギを売り払ってノミとハンマーとロープを購入したとき、両親と妻は大反対した。だが、マンジーは決意を変えなかった。マンジーは丘を削るために丘の近くに引っ越し、昼夜を取らず丘の掘削に没頭した。
 それから10年後。村人たちは、丘の形が変わったことに気付き出した。マンジーのことを狂人扱いした人々も、いつの間にか彼の仕事を静かに見守るようになった。やがて、村人たちは彼にお菓子や果物を差し入れるようになり、寄付をする人も現れ出した。
 1982年、山を削り出してから実に22年後、遂にゲヘロート・ガーティー村を外界から隔てていた丘の真っ只中に、幅約5mの平坦な道が完成した。だが、悲しいことに、そのときマンジーをこの大事業に駆り立てたきっかけとなった妻はもういなかった。既に病死してしまっていたのである。また、道は完成したが、マンジーの一家の生活は楽にはなっていない。それでも、マンジーは「私のハードワークが何千人もの利益になる」と胸を張っている。
 インドには、勇敢なのか無謀なのか、天才なのか無知なのか分からないが、莫大な時間と労力を要する大事業に飄々と挑戦し、完遂させてしまう人物が時々いるように思われる。山を動かしたマンジーの仕事は、いわゆる「悠久のインド」と呼ばれるインド人特有の時間概念や、日本人が得意とする道具・機械の開発や投資とは全く別次元にある、人力への絶対的信頼があって初めて成るものであろう。

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