藩王と結婚したスペイン人フラメンコ・ダンサー

 9月9日のデリー・タイムズ・オブ・インディア紙に、ペネロペ・クルーズ主演の「Passion India」という映画の話題が載っていた。この映画の主人公は、20世紀初頭にインドのマハーラージャーと結婚したスペイン人のフラメンコ・ダンサーである。興味が沸いたので、少し調べてみた。
 その女性の名前はアニータ・デルガド・ブリオネス(Anita Delgado Briones)。1890年2月8日、スペイン南部アンダルシアの港町マラガで生まれた。マドリードに移住したアニータは、1906年、スペイン国王アルフォンソ13世の結婚式においてパフォーマンスをし、カプールタラー藩王国のマハーラージャー、ジャガトジート・スィン・バハードゥルに見初められる。カプールタラー藩王国と言えば、「インドのパリ」と呼ばれるヨーロッパ風の町をパンジャーブに作り出してしまった、フランスかぶれの王家で知られる場所だ。早速ジャガトジート・スィンはアニータに求婚するが、彼女はそれを断る。また、このときアルフォンソ13世を狙ったテロ事件も発生し、ジャガトジート・スィンはマドリードを去らなければならなかった。
 ところが、ジャガトジート・スィンの友人たちはアニータを説得し、2人をパリで再会させる。ジャガトジート・スィンはアニータにフランス語などの教育を施す。そして1908年1月28日、2人は晴れて結婚する。アニータは結婚後、マハーラーニー・プレーム・カウルを名乗るようになる。ジャガトジート・スィンとプレーム・カウルの間には1人の息子が生まれる。名前はマハーラージクマール・アジト・スィン。誕生日は1908年4月26日。結婚の日付と長男の誕生日を照らし合わせると、どうもできちゃった結婚の可能性が濃厚である。2人は結婚後、ヨーロッパやインドの各地を旅行し、プレーム・カウルはその体験を「Impresiones de mis viajes a las Indias(私のインド旅行体験記)」にまとめた。だが、後に2人は離婚してしまう。原因はどうやら彼女の浮気らしい。浮気相手は、マハーラージャーと別の妻との間にできた息子だったとか・・・。彼女は、1962年7月7日にマドリードで没した。

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アニータ・デルガド aka プレーム・カウル


 ちなみにプレーム・カウルはジャガトジート・スィンの5番目の妻である。彼の1〜4番目の妻はインド人だが、スペイン人プレーム・カウルとの結婚に味をしめたのか、マハーラージャーは彼女の後にウィーン生まれの女性とも結婚している。彼女の名前はターラー・デーヴィー。元の名前はエヴゲニア・グロスポヴァ(Evgenia Grosupova)。チェコ(ポーランド?)の伯爵と女優ニナ・グロスポヴァの娘らしいが、デリーのクトゥブ・ミーナールから飛び降り自殺したらしい。
 映画は、ジャヴィエル・モロ著「Passion India」を原作として作られるようだ。だが、ジャガトジート・スィンの末裔であるティッカー・シャトルジート・スィンは、それに異議を唱えている。彼の主張によると、ジャヴィエルが書いた本に出て来る登場人物の記述には間違いが多く、彼の家系の名誉が傷つけられる恐れがある、とのことである。ただ、映画化そのものに反対しているわけではなく、それらの間違った記述を正しての映画化なら全面的に協力すると申し出ている。
 ペネロペ・クルーズ以外のキャストは決まっていないようだが、インドのことをよく知る原作者は、ジャガトジート・スィンの役を是非アミターブ・バッチャンに演じてもらいたいと希望を出しているようだ。もし映画化が実現すれば、これはハリウッド、ボリウッド、スペインの共同制作になる。フラメンコ・ダンサーがマハーラーニーになるという筋も、シンデレラ・ストーリーとしては申し分ない。さらに、ボリウッド的なダンスシーンが挿入される可能性もある。ペネロペ・クルーズが来年1月にロケ地下見のためにインドを訪れるとの話もあり、これから注目していきたい映画である。

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